雷館
惠土孝吉氏の思い
剣道の良さは「思いやり」の心だ自分を知り相手を知らなければ勝てない。

かつての小さな大選手は、六段以後段審査を受けず、ここ何年かは試合にも出ていない。

だが、剣道界に嫌気がさして背を向けてしまっているのではない。

科学的トレーニングにより金沢大は国立大としては目ざましい戦績を上げており、自信は学生剣道連盟OBという立場で信念を持って行動している。

本誌上でも何度も種々の問題点を提起し「学校関係三団体からの要望」にも積極的に動いた。

鋭い舌鋒は、自分の身を守るよりも、剣道をよくすることを考えているからこそ、 剣道を深く見つめ、剣道のことを四六時中考え続けているからこそであろう。

インタビューは月日の全日本選手権より前に行なわれたが、恵土氏は宮崎正裕の強さを認め、優勝もあると予想していた。恵土氏自身は戦後になって剣道を始めた最初の世代で、昭和36年、初出場で3位になった。前年、21歳で優勝した桑原哲明や、翌37年に23歳で優勝した戸田忠男は同い年で、かれらとともに剣道界に新しい波を起こした自分と、宮崎選手がだぶって見える部分があるようだ。

宮崎君が勝ってから剣道界は少し変わったのではないかな。いい方向に向かっているのではないでしょうか。それより前の一時期はパワーのある大型選手しか勝てない大会になっていました。宮崎君は普通の体格で、技術的に優れ、作戦、戦術によって勝っている。一番の特長はスピーディーなところ。速いリズムで打つ速攻型ですね。彼にはまだ(優勝の)チャンスはあると思います。

中大の山下(忠典)君にも近い将来可能性はあると思いますよ。一昔前なら鍋山(隆弘)君にも十分チャンスはあったと思いますが、宮崎君の登場で剣道が変わっているので、ちょっと出てくるタイミングが悪かったのではないかな。

かつて選手権を取った山田(博徳)君、西川(清紀)君、林(朗)君のようなパワフルな選手ももちろんいいが、宮崎君のようなタイプもいていいと思うんです。

剣道の世界に限らないが、ある程度の年齢になると「昔はよかった」という気持ちが強くなる。刀での斬り合いを想定して成り立っている剣道では、刀が非現実的なものになるにつれてその根本的な部分が失われていくから、ノスタルジーだけではなく、変質することには確かに問題もあるのだが、戦後に育った恵土氏以降の世代、とくに大学などの現場にいる指導者には、時代の流れとそれに伴う変化を冷静にとらえる人物が多い。その中でも恵土氏は、具体的に何をすればいいか、という方策をつねに考えている一人だ。では、伝統を軽んじているか、というと決してそんなことはない。

たとえば、日本剣道形は日本の伝統的な文化としての形だから、重要であり、残していかなければならない。それに対する本質的な研究を充分やるべきだと思います。

いま多くの剣道家はただ手順を追っているだけです。たとえば一本目はどの流派からとったのか、なぜ上段の構えをとるのか、なぜ一本目は小手なのか、四本目はなぜ脇構えなのか、それらが実際の剣道とどう結び付くのか、そういったことを明らかにし、学んだほうがいい。

私は高野佐三郎先生の一番弟子の佐藤卯吉先生に形を月回、年間教えてもらったんです。佐藤先生が中京大学の師範をされていましたから。一本目をやると「恵土君それは違うよ」と言う。何回やっても「違う」というだけで何も教えてくれない。最後に先生がお辞めになるときに、「恵土君しょうがないので教えてあげるよ」とやっと教えてくださった。

教えてもらったら簡単なことなんです。それは「早く下がりすぎる」ということ。ぐっとためて引き付けて最後のこちらが変化ができないところまで詰めさせて応じなければならない。もちろん打たれてもいけない。聞いたら簡単なことですが、それが本当の形でしょう。

そして佐藤先生は、たとえば二本目でも横面とか突きとか打ってくるんです。「たまたま小手を打つ約束があるだけで、本質からいったら横面を打っても突いてもいいはずなのだ」と言う。そういう状況や気迫にも対応できる形をやれば、実戦にも即結び付いてくる。もっと実戦的で、リアルな形をしなければ形の意味がないですよ。私は真冬に五、六本やっただけで汗だくになってしまう。木刀でも私の形は怖いと人に言われます。

スポーツの方法を取り入れた指導をしている恵土氏だが、そのようにかつては武道的な教えを受け、今でも武道の要素を認め、それを生かす方法も考えている。

剣道の武道としてのよさがどこにあるのかといえば、具体的には、子供のころから「規則を守る」「挨拶をする」「相手の気持ちを察する」「わがままな気持ちをおさえる」、そういうことを学んで段階を経て成長していくところでしょう。他のスポーツは楽しければいいが、剣道の場合は、楽しく競技を争うと同時に、修養の世界を楽しむところによさがあると思います。

ただ、最初から精神ばかりを強調しても無理があると思うんです。剣道の武道的なよさを理解させるには、まず剣道を好きにさせなければならないでしょう。だから、武士道精神、武道的要素は、発育段階に応じてその素養を少しずつ、高度な深いものに変えながら身につけさせていくことが必要だと思うのです。

ところが今は最初から高度なものを求めている。少年期、青年期、高齢期それぞれの目標を立てて、それに対して実行可能な競技方法なり審判法を考えるべきだと思うのです。

明治村の大会に出るクラスになれば、審判がいなくても、「参りました」と頭を下げて自己審判制でできるくらいの精神的に高い境地に達しているべきだと思うのですが、とてもそこまでは至っていない。八段、範士ともなれば、自分がいい剣道ができていないと思ったら、そこで辞退するくらいの謙虚な気持ちを持つべきだと思うのですが。

ただ、武道的な精神といいますが、他の競技であっても、真剣にやっている人は武士道的な日本人らしい考え方になっていくと思うんです。ヤクルトの野村(克也)監督が今年の日本シリーズ1回戦を勝ったときに、有頂天にならず「かえって危ない」と言っていました。精神的におごりが出てはいけないと思ってあえてそう言う。あれこそ武士道的だと思います。剣道をしていなくてもそういう人はいっぱいいるんです。

剣道のよさを実の伴ったものにするため、みんなで英知を出し合い、具体的な行動を起こしていかなければならないでしょう。剣道の理念というものがあっても実際にそれに向かって動いていない。たとえば五十歳すぎの人なら防具などつけていなくても「あ、あのひとは剣道をやっている人だ。どこかが違う」といわれるくらいにしていきたいものです。

本誌九月号の「提言特集・二十一世紀の剣道」でも、恵土氏の「理念達成のための具体的指標をつくる」という提案を紹介した。それにはまず最初の段階では剣道の面白さをわからせることが必要というが、それについても自分の経験とスポーツ科学の理論から、数々の具体策を持っている。

「強い人とやってはだめだ」というのが、指導をする上での私の理論のひとつ。自分より少し弱い人とやって、常に相手を打てる惑覚を身に付けておくことが重要なんです。自分のことを振り返っても、たいていの試合では勝って時々負けるから「なにくそ」と思う。そして負けた原因をよく考えるから、クリアできるようになるんです。いつも負けていてはそのうち嫌になって根気がなくなってしまう。

僕は中学2年の時にしない競技部が出来て剣道を始めました。道場が狭く部員も100人近くいたから、2カ月ぐらいは送り足の練習だけでした。あんな動作も当時は楽しかったですが、先生は私たちをやる気にさせるのがとても上手な人でした。たまたま当たると先生に「いやーやられた」と言われてすっかり調子にのってしまった。それで結構好きになったんです。

その結果向上心も備わってきました。先生にどうしたら強くなれるのかと聞いたことがある。「走り幅跳びをやりなさい」とか「素振りをやりなさい」と言われて、さっそく素振りをやったんです。大学の終わりまで毎日稽古の後に千本振っていましたよ。600本くらい普通に振って後は跳躍素振りをする。今から思うとこれがとてもよかったと思うんです。生理学的にも理に適っていた。

試合もやればやるほど勝てるようになり、さらに剣道にのめりこんでいきました。面白くてやめられない。高校のときも国士舘を出られた前田(治雄)先生の指導法がとてもよかったんです。先生とよく三本勝負をやっていました。強い学校は必ず三本勝負のような実戦形式の稽古をやっていますね。

勝つと先輩たちや先生たちが喜んでくれる。私もうれしい。それで他のスポーツを参考にしながら自分でもさらにトレーニングをするようになりました。まさに「好きこそものの上手なれ」で、嫌いでは続かないでしょう。

学生にもいうんですが、テストでいつも50点を取っていたら父兄に叱られる。うちに来るのは学力のある子ですから、高校の頃までは勉強がよくできて誉められていたから勉強もやる気になったのだと思うんです。それと同じ原理です。

金沢大学では、恵土氏が監督として赴任してから、堀田陽子選手が全日本女子学生チャンピオンになった(昭和60年)のを始め、最近では小田佳子選手が年連続同大会2位など、とくに女子が成果を上げ、男子個人や男女の団体でも、国立大としては目ざましい成績を上げている。恵土氏自身の豊富な経験と、スポーツ科学の研究、その研究者たちとの交流の中で得た理論を実践していることが、好結果を生んでいる。

防具をつけないと剣道ではない、ということはないんです。

筋カトレーニングが必要なのは、たとえばそれによって確実に打突のスピードがあがるからです。うちの学生の打突の速度を測ってみたら、男子と女子がそれぞれの規格の竹刀を持った結果ほとんど同じだったんです。女子は体カトレーニングをやったからスピードが上がった。男子はもっと打突のスピードをあげることが必要だと思います。男子にはなかなか理論を理解してもらえないんですが。

科学的な問題に目が向くようになった最初のきっかけは、中京大学に残って助手をしていた時代に、陸上競技のコーチがおがくずの上を走るトレーニングやサーキット・トレーニングをさせているのを見て自分でもとりいれたこと。そして最も大きかったのは三橋(秀三・当時中京大学師範)先生から松井(秀治・現愛知県スポーツ科学センター所長)先生を紹介され、星川(保)先生たちとの名古屋大学での研究会に毎週参加するようになったことです。他のスポーツに関するさまざまな研究者とその成果に接して、違った方向から剣道を見ることができるようになりました。

今は「アイカメラ」を使って、動態視力について実験しているんです。どういうところを見て、メンがくるかコテがくるかを判断するのか探るんです。もうひとつは運動形態学というもの。説明しにくいのですが、指導者として、剣道をやっている人を観察してどこがいいか悪いかを数量的、ゲーム分析的に見抜く、というようなことです。極端な話、一枚の写真を見て、どこが悪いかすぐに検証できるくらいに研究を進めたいんです。

実戦の中ではたとえば「早く攻める」つの実験なのですが、去年は男子の場合たまたまそれが成功しました。相手がゆっくり構えているのに対し、素早く攻める。相手は防ぎながらゆっくり考える暇がないからこちらのペースで戦える。実際にそうした練習を一、二年やってきて、試してみたらうまくいったんです。

しかしそれだけで正しいとは言い得ないので、たくさん事例を積み重ねることが必要です。ある欠点を直してみてもその生徒の個人の特性で直ったのか、先生を生徒が信頼していたから直ったのか、ひとつひとつチェックして系統化いく必要がある。とにかく事例をたくさん積み重ねることによってはじめてある程度の法則性が出てくるんです。一人の指導者の頭の中に事例と法則があっても死んだら終わりですから、何とか形にしようと、生徒に実験台になってもらいながら続けているんです

一番大事なのは、機械で実験したことが現場でどう生かされるのかであり、それをしないと不毛の議論となってしまいます。

全日本選手権の予選には40代半ばまで出場していた。20代の頃、かつての選手権者である40代の榊原正氏や鈴木守治氏がまだ愛知県予選に出場しており、それが励みになったからだという。しかし、現在は選手権予選に限らず、試合に出ることをやめてしまっている。六段を取った後は段位審査も受けていない。

いくつの時だったか教職員大会に出たら、何本打っても取ってくれないんです。審判のレベルの低さにがっかりして、こんな下手な審判ではやってられないと思ったんです。「気剣体一致」「刃筋正しく」という有効打突の条件通りにしっかり打っても、品がない、風格がないといった、わけのわからないところで判定している。小手胴の連続技は品格がない、とか。

そこに隙があったから打ったんです。隙があることを教えたのだから、相手にとっては反省する材料にもなるんです。

最近の審判は打った側の動作のみに目がいってしまっている。打ち方がよくないから一本ではない、と審判は言いますが、それではそんな打ち方で打たれた相手はどうなんでしょう。宮崎君にしてもタメがないとか言われるが、その打ち方で打たれた選手はそれ以下ではないでしょうか。それを防ぐところに巧みさが生まれるのだと思います。

それで一本にならないと、打たれたほうは隙があったのに何も反省しないことになる。それがおごりにもなってしまうんです。全日本選手権にしても、とにかく有効打突の条件に適った打突をきちんと取ってさえいれば問題はないはずです。

僕が審判がついて勝敗を決めるような試合に出ることはもうないでしょう。自分で取った、やられたの区別はできるから、審判がつく必要性がないと思う。それこそ精神を修練する武道的考えに行き着く道だと思います。

段位についてはかなり謙虚にとらえていました。三段を受ける高校の頃は自分に実力がないと見ていたし、六段を取る時は、六段を取るなら七段の実力がなければいけないと考えていた。

そこからは別に取らなくても実カナンバー1という自負はあった。三橋(秀三)先生の影響が多少はあったかもしれない。段位は奨励の手段でアマチュアのためにあり、専門家である僕はそのような具体的な目標がなくても真剣に剣道に取り組める。実績も残したから改めて取る必要はない、という自負はあります。

そのかわり、段がないからそれ以上の稽古をやらないと認められない。七段くらいの力だと思えばそれだけの稽古をしなければいけないでしょう。今でも勝負に関しては同年代ではそう簡単には負けないと思っています。今は当てっこのような剣道をしていますが、それでもいい。そういう過程を経て、行き着くところへ行きたいと思っているから、今それを無理に修正する気にはなりません。

恵士氏の言葉のはしばしから、剣道を愛する心が伝わってくる。そして、自分の人生をかけて剣道を深く見つめてきた、という自負が感じられるのだ。

剣道のよさを一言で言うなら「思いやり」だと思います。技を競いあっていても、同じ剣道を愛する者同士が戦っているのだから、相手が敵というわけではない。そこには勝者としての敗者に対する思いやりがなければならない。ひとりよがりに勝ったからいいというものではない。有効打突の条件の中に、残心あることとあります。残心というのもそういうことでしょう。

剣道によって、いま相手が何を考えているのか、下がろうとしているのか技を出そうとしているのか、を考える習懺が身につく。どんなに自らの技術を高めても相手のことを考えなければ試合で勝てるはずはないんです。それが、剣道以外の生活でも相手の立場を考える習慣となるのではないでしょうか。そういう心を養うところが剣道のいいところです。

だからこそ、試合に勝つためにも精神面の修練は絶対積まなければならない。それが武道ということにもつながってきます。指導する上で私はいつも「勝たないかん」と言っています。これは相手に勝つだけでなく、まず自分に勝つこと、精神的な修練も含んでいるんです。

これからの剣道界は学連が引っ張っていこうという気持ちで活動しています。僕個人でも、連盟としても全剣連に対して意見を述べてきましたが、改善されてきた部分も多く、そろそろ実践の段階だと思うんです。

学連のOBには活気がありますよ。活発に意見が出ます。稽古会や懇親会に行くと、並ぶのは東西の区別があるだけであとは全部平等なんです。八段も九段も上座に座らせない。審判講習会にしても七段の川上(岑志)先輩がすべての指揮を取り、八段で「今の面はなぜ取らないのだ」と言われて侃侃諤諤(かんかんがくがく)やっている。とてもいばってなどいられないんです。

いま、学連で新しい大会を計画しているんです。オープン参加にして二刀の部とか、新たな試みを考えているのですが、学生主体というよりもOBが半分くらい関わっていくようにしたいと思っている。まだ、学生が、やろう、と言う気にやっとなったばかりなので、早くて再来年ぐらいになりそうですが。

四六時中剣道のことを考えてきた、という自負はありますね。いくら好きでも、時にはいやになることもある。私も何度もそういうことがありました。それでは剣道がなくなったら何が残るのかと問いかけると何もない。いい先生に恵まれたこともあり、私個人としてよく続いたとも思います。 学生と同じ気持ちでいたいとも思うし、もう少し大学の先生らしくしたほうがいい、と思うこともあります。学生と一緒にランニングしながら、ちょっとみっともないかなあとも思いますが、剣道の技術だけではなく、みんなが同じ気持ちでやっているのだから、後ろからでもついていっていればいい、と思って走り続けるんです。


原記事は1993年12月に剣道日本誌に掲載されました。

惠土孝吉氏の思い

剣道の良さは「思いやり」の心だ自分を知り相手を知らなければ勝てない。

かつての小さな大選手は、六段以後段審査を受けず、ここ何年かは試合にも出ていない。

だが、剣道界に嫌気がさして背を向けてしまっているのではない。

科学的トレーニングにより金沢大は国立大としては目ざましい戦績を上げており、自信は学生剣道連盟OBという立場で信念を持って行動している。

本誌上でも何度も種々の問題点を提起し「学校関係三団体からの要望」にも積極的に動いた。

鋭い舌鋒は、自分の身を守るよりも、剣道をよくすることを考えているからこそ、 剣道を深く見つめ、剣道のことを四六時中考え続けているからこそであろう。

インタビューは月日の全日本選手権より前に行なわれたが、恵土氏は宮崎正裕の強さを認め、優勝もあると予想していた。恵土氏自身は戦後になって剣道を始めた最初の世代で、昭和36年、初出場で3位になった。前年、21歳で優勝した桑原哲明や、翌37年に23歳で優勝した戸田忠男は同い年で、かれらとともに剣道界に新しい波を起こした自分と、宮崎選手がだぶって見える部分があるようだ。

宮崎君が勝ってから剣道界は少し変わったのではないかな。いい方向に向かっているのではないでしょうか。それより前の一時期はパワーのある大型選手しか勝てない大会になっていました。宮崎君は普通の体格で、技術的に優れ、作戦、戦術によって勝っている。一番の特長はスピーディーなところ。速いリズムで打つ速攻型ですね。彼にはまだ(優勝の)チャンスはあると思います。

中大の山下(忠典)君にも近い将来可能性はあると思いますよ。一昔前なら鍋山(隆弘)君にも十分チャンスはあったと思いますが、宮崎君の登場で剣道が変わっているので、ちょっと出てくるタイミングが悪かったのではないかな。

かつて選手権を取った山田(博徳)君、西川(清紀)君、林(朗)君のようなパワフルな選手ももちろんいいが、宮崎君のようなタイプもいていいと思うんです。

剣道の世界に限らないが、ある程度の年齢になると「昔はよかった」という気持ちが強くなる。刀での斬り合いを想定して成り立っている剣道では、刀が非現実的なものになるにつれてその根本的な部分が失われていくから、ノスタルジーだけではなく、変質することには確かに問題もあるのだが、戦後に育った恵土氏以降の世代、とくに大学などの現場にいる指導者には、時代の流れとそれに伴う変化を冷静にとらえる人物が多い。その中でも恵土氏は、具体的に何をすればいいか、という方策をつねに考えている一人だ。では、伝統を軽んじているか、というと決してそんなことはない。

たとえば、日本剣道形は日本の伝統的な文化としての形だから、重要であり、残していかなければならない。それに対する本質的な研究を充分やるべきだと思います。

いま多くの剣道家はただ手順を追っているだけです。たとえば一本目はどの流派からとったのか、なぜ上段の構えをとるのか、なぜ一本目は小手なのか、四本目はなぜ脇構えなのか、それらが実際の剣道とどう結び付くのか、そういったことを明らかにし、学んだほうがいい。

私は高野佐三郎先生の一番弟子の佐藤卯吉先生に形を月回、年間教えてもらったんです。佐藤先生が中京大学の師範をされていましたから。一本目をやると「恵土君それは違うよ」と言う。何回やっても「違う」というだけで何も教えてくれない。最後に先生がお辞めになるときに、「恵土君しょうがないので教えてあげるよ」とやっと教えてくださった。

教えてもらったら簡単なことなんです。それは「早く下がりすぎる」ということ。ぐっとためて引き付けて最後のこちらが変化ができないところまで詰めさせて応じなければならない。もちろん打たれてもいけない。聞いたら簡単なことですが、それが本当の形でしょう。

そして佐藤先生は、たとえば二本目でも横面とか突きとか打ってくるんです。「たまたま小手を打つ約束があるだけで、本質からいったら横面を打っても突いてもいいはずなのだ」と言う。そういう状況や気迫にも対応できる形をやれば、実戦にも即結び付いてくる。もっと実戦的で、リアルな形をしなければ形の意味がないですよ。私は真冬に五、六本やっただけで汗だくになってしまう。木刀でも私の形は怖いと人に言われます。

スポーツの方法を取り入れた指導をしている恵土氏だが、そのようにかつては武道的な教えを受け、今でも武道の要素を認め、それを生かす方法も考えている。

剣道の武道としてのよさがどこにあるのかといえば、具体的には、子供のころから「規則を守る」「挨拶をする」「相手の気持ちを察する」「わがままな気持ちをおさえる」、そういうことを学んで段階を経て成長していくところでしょう。他のスポーツは楽しければいいが、剣道の場合は、楽しく競技を争うと同時に、修養の世界を楽しむところによさがあると思います。

ただ、最初から精神ばかりを強調しても無理があると思うんです。剣道の武道的なよさを理解させるには、まず剣道を好きにさせなければならないでしょう。だから、武士道精神、武道的要素は、発育段階に応じてその素養を少しずつ、高度な深いものに変えながら身につけさせていくことが必要だと思うのです。

ところが今は最初から高度なものを求めている。少年期、青年期、高齢期それぞれの目標を立てて、それに対して実行可能な競技方法なり審判法を考えるべきだと思うのです。

明治村の大会に出るクラスになれば、審判がいなくても、「参りました」と頭を下げて自己審判制でできるくらいの精神的に高い境地に達しているべきだと思うのですが、とてもそこまでは至っていない。八段、範士ともなれば、自分がいい剣道ができていないと思ったら、そこで辞退するくらいの謙虚な気持ちを持つべきだと思うのですが。

ただ、武道的な精神といいますが、他の競技であっても、真剣にやっている人は武士道的な日本人らしい考え方になっていくと思うんです。ヤクルトの野村(克也)監督が今年の日本シリーズ1回戦を勝ったときに、有頂天にならず「かえって危ない」と言っていました。精神的におごりが出てはいけないと思ってあえてそう言う。あれこそ武士道的だと思います。剣道をしていなくてもそういう人はいっぱいいるんです。

剣道のよさを実の伴ったものにするため、みんなで英知を出し合い、具体的な行動を起こしていかなければならないでしょう。剣道の理念というものがあっても実際にそれに向かって動いていない。たとえば五十歳すぎの人なら防具などつけていなくても「あ、あのひとは剣道をやっている人だ。どこかが違う」といわれるくらいにしていきたいものです。

本誌九月号の「提言特集・二十一世紀の剣道」でも、恵土氏の「理念達成のための具体的指標をつくる」という提案を紹介した。それにはまず最初の段階では剣道の面白さをわからせることが必要というが、それについても自分の経験とスポーツ科学の理論から、数々の具体策を持っている。

「強い人とやってはだめだ」というのが、指導をする上での私の理論のひとつ。自分より少し弱い人とやって、常に相手を打てる惑覚を身に付けておくことが重要なんです。自分のことを振り返っても、たいていの試合では勝って時々負けるから「なにくそ」と思う。そして負けた原因をよく考えるから、クリアできるようになるんです。いつも負けていてはそのうち嫌になって根気がなくなってしまう。

僕は中学2年の時にしない競技部が出来て剣道を始めました。道場が狭く部員も100人近くいたから、2カ月ぐらいは送り足の練習だけでした。あんな動作も当時は楽しかったですが、先生は私たちをやる気にさせるのがとても上手な人でした。たまたま当たると先生に「いやーやられた」と言われてすっかり調子にのってしまった。それで結構好きになったんです。

その結果向上心も備わってきました。先生にどうしたら強くなれるのかと聞いたことがある。「走り幅跳びをやりなさい」とか「素振りをやりなさい」と言われて、さっそく素振りをやったんです。大学の終わりまで毎日稽古の後に千本振っていましたよ。600本くらい普通に振って後は跳躍素振りをする。今から思うとこれがとてもよかったと思うんです。生理学的にも理に適っていた。

試合もやればやるほど勝てるようになり、さらに剣道にのめりこんでいきました。面白くてやめられない。高校のときも国士舘を出られた前田(治雄)先生の指導法がとてもよかったんです。先生とよく三本勝負をやっていました。強い学校は必ず三本勝負のような実戦形式の稽古をやっていますね。

勝つと先輩たちや先生たちが喜んでくれる。私もうれしい。それで他のスポーツを参考にしながら自分でもさらにトレーニングをするようになりました。まさに「好きこそものの上手なれ」で、嫌いでは続かないでしょう。

学生にもいうんですが、テストでいつも50点を取っていたら父兄に叱られる。うちに来るのは学力のある子ですから、高校の頃までは勉強がよくできて誉められていたから勉強もやる気になったのだと思うんです。それと同じ原理です。

金沢大学では、恵土氏が監督として赴任してから、堀田陽子選手が全日本女子学生チャンピオンになった(昭和60年)のを始め、最近では小田佳子選手が年連続同大会2位など、とくに女子が成果を上げ、男子個人や男女の団体でも、国立大としては目ざましい成績を上げている。恵土氏自身の豊富な経験と、スポーツ科学の研究、その研究者たちとの交流の中で得た理論を実践していることが、好結果を生んでいる。

防具をつけないと剣道ではない、ということはないんです。

筋カトレーニングが必要なのは、たとえばそれによって確実に打突のスピードがあがるからです。うちの学生の打突の速度を測ってみたら、男子と女子がそれぞれの規格の竹刀を持った結果ほとんど同じだったんです。女子は体カトレーニングをやったからスピードが上がった。男子はもっと打突のスピードをあげることが必要だと思います。男子にはなかなか理論を理解してもらえないんですが。

科学的な問題に目が向くようになった最初のきっかけは、中京大学に残って助手をしていた時代に、陸上競技のコーチがおがくずの上を走るトレーニングやサーキット・トレーニングをさせているのを見て自分でもとりいれたこと。そして最も大きかったのは三橋(秀三・当時中京大学師範)先生から松井(秀治・現愛知県スポーツ科学センター所長)先生を紹介され、星川(保)先生たちとの名古屋大学での研究会に毎週参加するようになったことです。他のスポーツに関するさまざまな研究者とその成果に接して、違った方向から剣道を見ることができるようになりました。

今は「アイカメラ」を使って、動態視力について実験しているんです。どういうところを見て、メンがくるかコテがくるかを判断するのか探るんです。もうひとつは運動形態学というもの。説明しにくいのですが、指導者として、剣道をやっている人を観察してどこがいいか悪いかを数量的、ゲーム分析的に見抜く、というようなことです。極端な話、一枚の写真を見て、どこが悪いかすぐに検証できるくらいに研究を進めたいんです。

実戦の中ではたとえば「早く攻める」つの実験なのですが、去年は男子の場合たまたまそれが成功しました。相手がゆっくり構えているのに対し、素早く攻める。相手は防ぎながらゆっくり考える暇がないからこちらのペースで戦える。実際にそうした練習を一、二年やってきて、試してみたらうまくいったんです。

しかしそれだけで正しいとは言い得ないので、たくさん事例を積み重ねることが必要です。ある欠点を直してみてもその生徒の個人の特性で直ったのか、先生を生徒が信頼していたから直ったのか、ひとつひとつチェックして系統化いく必要がある。とにかく事例をたくさん積み重ねることによってはじめてある程度の法則性が出てくるんです。一人の指導者の頭の中に事例と法則があっても死んだら終わりですから、何とか形にしようと、生徒に実験台になってもらいながら続けているんです

一番大事なのは、機械で実験したことが現場でどう生かされるのかであり、それをしないと不毛の議論となってしまいます。

全日本選手権の予選には40代半ばまで出場していた。20代の頃、かつての選手権者である40代の榊原正氏や鈴木守治氏がまだ愛知県予選に出場しており、それが励みになったからだという。しかし、現在は選手権予選に限らず、試合に出ることをやめてしまっている。六段を取った後は段位審査も受けていない。

いくつの時だったか教職員大会に出たら、何本打っても取ってくれないんです。審判のレベルの低さにがっかりして、こんな下手な審判ではやってられないと思ったんです。「気剣体一致」「刃筋正しく」という有効打突の条件通りにしっかり打っても、品がない、風格がないといった、わけのわからないところで判定している。小手胴の連続技は品格がない、とか。

そこに隙があったから打ったんです。隙があることを教えたのだから、相手にとっては反省する材料にもなるんです。

最近の審判は打った側の動作のみに目がいってしまっている。打ち方がよくないから一本ではない、と審判は言いますが、それではそんな打ち方で打たれた相手はどうなんでしょう。宮崎君にしてもタメがないとか言われるが、その打ち方で打たれた選手はそれ以下ではないでしょうか。それを防ぐところに巧みさが生まれるのだと思います。

それで一本にならないと、打たれたほうは隙があったのに何も反省しないことになる。それがおごりにもなってしまうんです。全日本選手権にしても、とにかく有効打突の条件に適った打突をきちんと取ってさえいれば問題はないはずです。

僕が審判がついて勝敗を決めるような試合に出ることはもうないでしょう。自分で取った、やられたの区別はできるから、審判がつく必要性がないと思う。それこそ精神を修練する武道的考えに行き着く道だと思います。

段位についてはかなり謙虚にとらえていました。三段を受ける高校の頃は自分に実力がないと見ていたし、六段を取る時は、六段を取るなら七段の実力がなければいけないと考えていた。

そこからは別に取らなくても実カナンバー1という自負はあった。三橋(秀三)先生の影響が多少はあったかもしれない。段位は奨励の手段でアマチュアのためにあり、専門家である僕はそのような具体的な目標がなくても真剣に剣道に取り組める。実績も残したから改めて取る必要はない、という自負はあります。

そのかわり、段がないからそれ以上の稽古をやらないと認められない。七段くらいの力だと思えばそれだけの稽古をしなければいけないでしょう。今でも勝負に関しては同年代ではそう簡単には負けないと思っています。今は当てっこのような剣道をしていますが、それでもいい。そういう過程を経て、行き着くところへ行きたいと思っているから、今それを無理に修正する気にはなりません。

恵士氏の言葉のはしばしから、剣道を愛する心が伝わってくる。そして、自分の人生をかけて剣道を深く見つめてきた、という自負が感じられるのだ。

剣道のよさを一言で言うなら「思いやり」だと思います。技を競いあっていても、同じ剣道を愛する者同士が戦っているのだから、相手が敵というわけではない。そこには勝者としての敗者に対する思いやりがなければならない。ひとりよがりに勝ったからいいというものではない。有効打突の条件の中に、残心あることとあります。残心というのもそういうことでしょう。

剣道によって、いま相手が何を考えているのか、下がろうとしているのか技を出そうとしているのか、を考える習懺が身につく。どんなに自らの技術を高めても相手のことを考えなければ試合で勝てるはずはないんです。それが、剣道以外の生活でも相手の立場を考える習慣となるのではないでしょうか。そういう心を養うところが剣道のいいところです。

だからこそ、試合に勝つためにも精神面の修練は絶対積まなければならない。それが武道ということにもつながってきます。指導する上で私はいつも「勝たないかん」と言っています。これは相手に勝つだけでなく、まず自分に勝つこと、精神的な修練も含んでいるんです。

これからの剣道界は学連が引っ張っていこうという気持ちで活動しています。僕個人でも、連盟としても全剣連に対して意見を述べてきましたが、改善されてきた部分も多く、そろそろ実践の段階だと思うんです。

学連のOBには活気がありますよ。活発に意見が出ます。稽古会や懇親会に行くと、並ぶのは東西の区別があるだけであとは全部平等なんです。八段も九段も上座に座らせない。審判講習会にしても七段の川上(岑志)先輩がすべての指揮を取り、八段で「今の面はなぜ取らないのだ」と言われて侃侃諤諤(かんかんがくがく)やっている。とてもいばってなどいられないんです。

いま、学連で新しい大会を計画しているんです。オープン参加にして二刀の部とか、新たな試みを考えているのですが、学生主体というよりもOBが半分くらい関わっていくようにしたいと思っている。まだ、学生が、やろう、と言う気にやっとなったばかりなので、早くて再来年ぐらいになりそうですが。

四六時中剣道のことを考えてきた、という自負はありますね。いくら好きでも、時にはいやになることもある。私も何度もそういうことがありました。それでは剣道がなくなったら何が残るのかと問いかけると何もない。いい先生に恵まれたこともあり、私個人としてよく続いたとも思います。 学生と同じ気持ちでいたいとも思うし、もう少し大学の先生らしくしたほうがいい、と思うこともあります。学生と一緒にランニングしながら、ちょっとみっともないかなあとも思いますが、剣道の技術だけではなく、みんなが同じ気持ちでやっているのだから、後ろからでもついていっていればいい、と思って走り続けるんです。


原記事は1993年12月に剣道日本誌に掲載されました。